ピストルズ やがて哀しき独り言

東京・恵比寿で広告・Webプランニング・開発・制作会社を経営する3年目経営者の悲哀を語っていきます。 弊社URL→ http://www.pistil-pistol.co.jp

夜の下り列車

夜の、客もまばらな下り列車の中で、美人と向き合うかたちで座席に腰掛ける時間は幸せだ。しかも厚ぼったい唇に、控えめなのにしっかりと主張する赤めのルージュが施され、下を向き文庫本を読んでる美人だ。髪は黒く、でも黒すぎてその重さに陰鬱な気分を想起させるようなものでなく、あっさりとした黒だ。それを右の方だけ耳にかけ、時折欠伸なんかしている姿は一段と美しい。白を基調とした花柄のワンピースで、薄桃色のカーディガンを羽織り、どういうことかしらん、膝は微妙に閉じ切られてはおらず、いささか無防備な頭の悪さを醸し出している感じが、またいい。

そのくせ読み入っている文庫本が水上勉飢餓海峡東野圭吾とか桐野夏生じゃないところが、私を複雑な意味で駆り立てる。この意図的とも言えぬアンバランスさが、一段と美を引き立てる。久しぶりに三國連太郎主演の飢餓海峡を観たくなった。

そうしてるうちに新宿駅。大量の客が乗り込んできて、空いていた座席は瞬時に埋まる。飢餓海峡美人と私の間にも多くの乗客が立ち塞がる。視界は遮られ、車内は酒の匂いでにわかに騒々しくなる。

赤羽駅に着いたときには、彼女の姿はもう見えない。幻のような時間に囚われる、日曜日の、夜の下り列車が好きだ。

五輪エンブレム問題

五輪エンブレム問題で大いに盛り上がっている我が祖国であるが、そんなことよりもセブンイレブンの豆乳のまずさに悶絶している僕としては、一律70円のセブンのおでんセールが明日で終わってしまうことの方がはるかに重要な問題だ。

そんな僕でも、やはり近しい業界に身を置いているわけで、同業のデザイナーやライターさんと会話をすると、どうしてもそのネタが出てくる。ありゃあ間違いなくパクったとか、いやいや佐野御大がそんな間抜けなことをするはずがないとか、かの有名なアートディレクターについての話題から、そもそも組織委員会が糞だとか広告業界が腐っているだとかと話が大きくなっていき、更には前回大会の亀倉なんとかという人が偉大だったとかそもそも五輪マークこそがエンブレムのはずなのに、なんでそれにおまけみたいな色彩を付け加える必要があるのかなどの身も蓋もない話にまで発展する。

ひととおりそんな話をしつくすと、結論として、セブンの70円おでんを買い求める日銭稼ぎに身をやつす我々貧乏貧弱鼻くそ稼業の最底辺の糞塗れには、所詮雲の上のお話なのだということに達する。要するに、どっちだっていいだろそんなことはぁ!!という無責任極まりない解答しか持ち合わせていないのである。

そんなことを書いていたら、無性に糞をしたくなった。

真鶴にて

真鶴は、東京から見ると小田原の先、湯河原・熱海の手前に位置する小さな町であり、申し訳程度の半島を有する神奈川県南西部の石材の町だ。川上弘美の長編小説の舞台にもなっている。半島の突端には三ツ石海岸があって、干潮時には有名な三ツ石まで地続きになっているらしいのだが、僕が訪れた時には生憎満潮だったのだろう、残念ながら三ツ石まで歩いていくことはできなかった。

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なぜこんな辺鄙な場所に行ったのかというと明確な理由がない。ただ辿り着いたらそこは真鶴だったのだ。

加齢という問題について最近よく考える。あと2年すれば40歳だ。歳を取って脳が腐りかけても体力でそれをカバーしていきたいとジョギング、水泳、筋トレを続けているわけだが、真鶴の景色を眺めて1時間近くぼうっとしてしまった。20代の頃なんていわゆる名勝地と呼ばれる土地の景色を眺めても数分で飽きてしまった自分だが、1時間もその場に立ち尽くし景色に見入ることができるようになっていたとは正直驚きだ。この現状をどう判断すればいいのだろうか。自然の持つ悠久の力とも言うべき景色に感動し、自分の無力さをまざまざと見せつけられ、よし、もっと頑張ろうと思えばいいのだろうか。もしくは景色に魅入られるくらい自分が歳を取っていることに愕然とし、いかんいかんこのままではいかんぞ、これじゃあすっかり人生を諦めた老人ではないか!と自分を叱責すればいいのだろうか。はたまた女性の太ももよりも海の景色に関心が移行し、煩悩からの解脱、欲望からの解放を喜べばいいのか。

自分にとって潮の香りを嗅ぎ、汐風に身をゆだね、波の調べに耳を傾けるということが、どこかリアリティのないことのように思えてならない。「自然に生きる」ということがいまだもって理解できない自分にとって、この1時間のひとときが何をもたらしたのか、深く探っていきたいテーマのようにも思える。

不惑の40などという言葉があるが、その境地に達するにはどうやら2年では全然足りないようだ。というよりも一生届かない境地のような気もする。

シュノーケルを楽しむおっさんがいた。真鶴半島は、関東ではシュノーケルのメッカのような場所らしい。50前後くらいのそのおっさんは、人生に何の迷いもなく海に潜っているのだろうか。戸惑いだらけの陸上から逃げるように、おっさんは海に深く深く潜っていくような印象を受けた。

ガキを睨む。

もうすっかりブログを書くことに飽いている私であるが、そもそもなぜブログを書きつづけるという苦渋の決断を果たし、月10本のペースで更新しつづけるという虚無僧並の試練を己に課したのかを、いまいちど振り返ってみなければならぬ。要するに飽きっぽく忍耐力に欠け、日々精進することに耐えうる肉体と精神を営む能力をこれっぽっちも持ち合わせぬ自分自身を鍛えるためではなかったか。とは書いてはみたものの、やはり一度折れた心を修復するのは難しいことこの上なく、もう適当でいいじゃん、書きたい時に書けばそれでいいじゃん、別に誰に求められるでもなく、金銭的報酬を受け取っているわけでもなく、結局のところ自己満足のためにやってるわけじゃん。しかも自分からFacebookなどにリンクを貼り、いかにも「俺、やってます!」的なアピールを一体全体誰に向けて行っているのだ。そのうえ自分の恥部までも抵抗することなく晒し、自分は葛西善蔵西村賢太にでもなったつもりか!と相反する2人の自分が言い争っているのである。これはもう性的錯乱者の域だと自分を落ち着かせてはみるものの、尻切れトンボのように終わるのは、弊社の立場的にも良くないと思い直し、ひきつづきブログを更新することにした。

さて今回であるが、仕事の関係で石垣島に渡った。ホテル等を取材し、お土産のTシャツや貝殻でつくったペンダントなどをたらふく買い込み、しっかり石垣牛八重山そばなども堪能し、帰路羽田に向かうJTAの便に乗り込んだわけだ。この時期に、しかも石垣島という観光地から飛び立つ飛行機というのは乗客の大半が家族連れなわけで、要するに小うるさいガキどもが飛行機中に充満していることを意味している。

基本的に貧乏紳士を気取る私などは、ぎゃあぎゃあ泣きわめくガキをあやしつけるご婦人などと目を合わせると、「大変ですね」の一言を言わんばかりの優しい目をしてご婦人ににっこりと微笑むことを厭わない。そんな時は鞄の中からおもむろに「文藝春秋」などを引っ張り出し、立花隆あたりのページを妙に納得しているような表情で読んでいるフリをして、ご婦人から「そんなに難しい御本をお読みなのに、ご迷惑でしょう」などという申し訳なさそうな表情を引き出し、「いえいえ構うものですか。子どもというのは泣くのが商売のようなものですからね。それに比べれば立花隆の総論などというものは三流雑誌の風俗ルポの記事と大差ありません」などという極めて紳士的なふるまいを見せ、妙にスカした気分に浸るのだ。

問題は、そこではない。ガキと言っても小学生くらいのガキがこらもう絞め殺してやりたくなるくらいのわずらわしさなのだ。飛行機に初めて乗った興奮がそうしているのかどうか分からぬが、きゃつらは通路中を奇声を発しながら走り回るのだ。ぶーんぶーんぶぶぶぶーん、とか、ぱたぱたぱた、とか、ニイタカヤマノボレ、とか。まるで戦闘機の操縦者になったような気分で通路を右から左、前から後ろへと走り回るのだから、これはもう迷惑以外の何物でもない。しかもきゃつらの親ときたら、自分たちはすっかり寝息を立てて、子どもの傍若無人なふるまいを完全に見逃している。さらには小学生の親くらいの年齢になってくると、赤ん坊をあやしつけるご婦人とは言い難い年齢に差し掛かっていて、生活感が滲み出てしまっているわけだから、こちらも一向にスカしてやろうなどという気分は起こりえない。

だから私も自分の席の横にそのガキどもが来たら殴りつけてやろうという憤怒にもだえ苦しむことになるのだが、本当に殴ってしまったらこれはもう大問題である。そこで私が考え出し、3年ほど前から実践している手法がある。遠くからきゃつらが走ってくるのが視界に入った瞬間から、そのガキの目を一瞬たりとも逃さないように睨めつけてやるのだ。眉間に縦皺を数本つくり、唇を真一文字にし、殺気立った目をして瞬きひとつせず睨めつづけるのだ。この時ばかりはお気に入りの999.9の眼鏡を外す。眼鏡をしたままだと相手側からこちらの表情が捉えづらく、見逃される恐れがあるからだ。

この手法は私の経験上100%きゃつらを黙らすことができる。さすがにガキはビビるわけである。注意されるでもなく怒鳴りつけられるわけでもない。ただ人相の悪いオヤジに睨めつけられることの恐怖。黙るというよりも唖然とするわけだ。今回もこの手法が功を奏し、小学2年生くらいの男子生徒を唖然とさせることに成功した。きゃつはとぼとぼと自分の席に戻り、微動だにしなくなっていた。用心深い私である、再度ガキが発狂しないようにと、席にちょこんと座り青ざめているガキがこちらを注意深く伺っていることを見抜いた私は、念には念をおして再度睨めつけてやった。それも一瞬ではない。目が合った瞬間に顔を下げたガキに対して、その後20秒ほど睨み続けたのだ。おそらく失禁くらいはしているだろう。どうだバカ野郎、調子こいてんじゃねぞ小便垂れが。夢にまで出てやるぞ。

この体験を通して、その小学2年生も大人への階段を一歩昇ったに違いない。飛行機の中で成長できるとはその子も恵まれている。そう判断し満足した私は、再び文藝春秋に目を戻したのである。

その後羽田に到着するまでの1時間半、その子が発狂し奇声を上げることは一度たりともなかったことを追記しておく。

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若者に一言申し上げる。

毎年この時期になると、大量の企画書を作りまくらなくてはならない。弊社事務所は蒸し暑く、寝っ転がっていても息が詰まるような密閉された構造になっているおかげで、どうにも集中できる環境とは言い難く、ついついYouTubeなりWikipediaなり日ピン研などを回遊してしまいがちになるため、ほぼ毎日夕方になると事務所に唾を吐き捨て、ファミレスなりスタバなりに仕事場を移すことにしている。ほとんどノマドワーカーみたいなもので、ジプシーのような悲しい気持ちになるのだが、背に腹は代えられぬ、本日はスフレパンケーキで有名な星乃珈琲店で企画書を1本書き上げることに成功した。

一息つくと、悲しいかな、僕の席の周囲はすべてカップルに囲まれており、僕に逃げ場なし、みじめな気持ちになるのだ。オセロで言えば周辺を全て黒に囲まれ、ただ1つ残された白に何ができると言うのだ!

ということで、隣の席のカップルの話に耳を傾けることにする。とは思ったものの、この大学生カップルらしき二人組、それぞれが自身のスマホゲームに夢中で、会話どころか表情さえこちらからは見受けられない。

おう、それでいいのか若者よ!大学と言う色恋沙汰以外には何の実りも得られない社会に属しておきながら、スマホ画面とにらめっこする時間の何が青春だ!僕が大学生だったら、彼女のスマホなど叩き割って、ずっと彼女の瞳を見つめることだろう。彼女に、ずっと見ないでよキモイんだけど、などと言われようとも、バカタレこの小娘!美しいものをずっと見ていたいと思うナイーブな男心が貴様に分かってたまるか!この俺の瞳をじっと見ろ、俺の心の奥底にあるものを思いしれ!と怒鳴りつけてやるだろう。そして仮に彼女から、あんたいまヤリたいと思ってるんでしょ、なぞと軽蔑のまなざしを向けられようとも怯むことなく言うだろう。ああそうだ!そのためだけに生きているんだからな!どうだ末恐ろしいだろう、わっはっはっはっは!と笑い飛ばすことだろう。

と、自分自身の中で意味のないシミュレーションが始まってしまい、もう一枚企画書を書き上げるどころではなくなってしまった。激しい自己嫌悪。激しい絶望感。こんなことでこの先やっていけるのだろうかと、不安に苛まれる結果となった。ほんとに自分が情けなくなる。まあいいんだけど。

スローバラード 05

高円寺でのひとり暮らしは、僕にとっては初めての親からの独立だと考えていた。地元が東京やその近隣にある人間にとって、「親からの独立」というのは思っている以上にハードルが高い。大学進学や就職といってもほとんどが都内に通うことになるわけで、わざわざ自分で家賃まで払って、炊事洗濯をして、などという面倒くさい作業をしてまでもひとり暮らしをするメリットが見当たらないからだ。僕にとっても彼女との出会いがなければ、当分ひとり暮らしは始めなかったはずだ。

とはいえ、そんな無理をしてまでも男がひとり暮らしを始めるのは、女の子を気兼ねなく連れ込めるという安堵感と親の目を盗んでAVを鑑賞するというリスクを回避できるからに他ならない。ただ僕の部屋にはテレビがなかったので、AVとは無縁であったのだが。

江の島以降1週間以上、彼女が僕の部屋に来ることはなかった。1日に10回くらい往復していたメールも日に日にその数が減っていく。悪い予感が芽生え始めていた。

「今日久しぶりに吉祥寺のやきとり行かない?バイト代入ったからサワー飲み放題ということで」などとメールを送ろうものなら、以前は

「きゃーっ♡いくいく!じゃあカルピスサワー20杯♡」などと低能っぷり満載のメールが返ってきていたのだが、それ以降「今日は無理」「仕事入ってる」などの極めて事務的、且つ簡潔な文面を送り返してくるようになっていた。

呑気な僕もさすがに怪しさを感じ、同時に不安が生まれ、おろおろするばかりで、夜も眠れなかった。

意を決して2月の寒風吹きすさぶ夜に、彼女がお姉さんと暮らす恵比寿のマンションを訪ねることとなった。彼女は仕事から戻っておらず、お姉さんに快く迎え入れられた僕は、「うわっ、お姉さん、すんげえ巨乳じゃん!一度わたくしと勝負いたしませんか?」などという下衆な発想などこれっぽっちも持ち合わせることなく、ただひたすらに2人でテレビを観ながら彼女の帰りを待ったのだ。

「悪い予感のかけらもないさ」

僕はテレビに映る明石家さんまの出っ歯と向かいに座るお姉さんの巨乳を交互に見ながら、吐いては吸っての呼吸法を繰り返し、精神と肉体の隆起を必死に抑えていた。彼女がいまどこでなにをしているのか考える余裕などなくなってしまい、悪い予感はどこかに、というかその胸の谷間に吸い込まれ消えて行っていたのだ。

(次回へつづく)

天人唐草と、星の瞳のシルエット。

弊社ピストルズの恵比寿事務所というのは、築40年をゆうに越える木造2階建ての貸家であり、耐震・制震といった概念を完全に超越した建築物である。無論地震があれば揺れるし、風が吹けば寒い。いわゆる東京大地震が起こるとすれば、恵比寿界隈ではまず真っ先に崩れ落ちる城である。難攻不落どころか易攻自落のため、契約しているALSOKからもないがしろにされている感が否めないのである。CMキャラクターの吉田沙保里に守ってもらえるどころか、室内で彼女にタックルでもされたら、建物ごと崩れ落ちていくこと請け合いだ。

そんな聞くも涙の我が事務所であるが、弊社の敷地内はこの時期になると雑草だらけの悲惨な状況になる。昨年も相棒と草むしりをしたのであるが、今年もいよいよ雑草だらけで、傍から見れば大草原の小さな家状態である。そうなると弊社の前の道を通学路としている広尾高校のバカな高校生たちはヤマザキパンの袋を捨てて行くわ、近所の会社員たちは吸い殻をポイ捨てして行くわ、新興宗教の勧誘はポストに案内を入れて行くわで、ちょっとした不法投棄の山みたいな状況となる。世界中からバカにされている気分となり、事務所の中に引き籠りたい沈痛な面持ちとなる。

しかし、救いもある。弊社事務所を取り囲む雑草群の中に、“天人唐草”が混じっているのである。この素敵な名前をもつ雑草は春の初めに薄紫の小さいささやかな花を咲かせる。それがすさんだ僕たちにわずかながらの希望を抱かせる。その花が咲き誇る頃になると、僕らはおもむろに株主総会を開催し、議長である僕が毎年恒例となった「今年度もやっぱり駄目でした」と開口一番に決めゼリフをかますのだ。

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ただしそれはあくまで春の話である。梅雨時になると無数に絡みついた茎ががっちりと大地に根を張り、引っこ抜きたくてもなかなか引き抜けない、実にやっかいな雑草と成り下がる。まあそれはどうでもいい話。

で、その天人唐草であるが、別名「星の瞳」と呼ばれる。つい最近知ったのだが、星の瞳なんてとても素敵じゃあないか!そう、「星の瞳のシルエット」だ。「耳をすませば」の原作で有名な柊あおいの代表作ではないか。中学生のころ、妹が集めていた単行本を貪るように読んだことを覚えている。メロンパンが好物の久住くんと、メロンパンに恋する香澄ちゃんのラブロマンス。2人の出会いの決定的場面となった「すすき野原」にもきっとこの星の瞳こと天人唐草が生い茂っていたはずなのだ。

なんとロマンチックな雑草、いや花なのだろうと、少々おとめチックな気分に酔いしれたまもなく38歳の僕は、この天人唐草に思いを馳せてウィキってみた。するとさらにまた別の名称をこの天人唐草は持っていたことを知った。

オオイヌノフグリ

漢字で書けば大犬の陰嚢となる。つまりでっけー犬の金玉ということだ。ということは、である。あの感動巨編「星の瞳のシルエット」は「でっけー犬の金玉の影絵」ということになる。もっと言ってしまえば、我が事務所は無数のでっけー犬の金玉に取り囲まれているのだ。

雨ニモマケズ、風ニモマケズって、何言ってんの?

「先人たちの名言・格言」というブランドがあって、特に松下幸之助とか孔子の言葉とか、やたら振りかざしてくる人がいる。師曰く「人にして不仁ならば、礼を如何。人にして不仁ならば、楽を如何」といった類のものだ。確かに解説を聞けばなるほど尤もだ、と頷くしかないような完璧な意味を有しているのだから、それは個人の教訓として後生大事に墓場まで持っていけばいいとは思う。問題はそれを他人に押し付けてきて、押し付けるならまだしも、鬼の首をとったような表情で、「おまえ知らんのか、これだから低能は困るよ」と鼻の穴を膨らませている輩が少なからずいるということだ。

いわゆる名言というのは、言葉そのものではなく、受け取り手の僕らにとって響くかどうかが問題なわけで、「うばいあえば足りぬ、わけ合えば余る」などと言われたところで、僕に言わせれば、余らないように分けてくれよと言いたくなるのだ。余った分で結局また争いが起きるわけだから。そこんとこ頼むよみつをちゃん。

日本有数の名言として、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩がある。「みんなにでくのぼーと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、そういうものにわたしはなりたい」と宮沢さんは締めくくるのだけれども、嘘つけバカヤローと言わずにはいられない。

そんなことは普通公の場で口に出して言うと、PTAや放送倫理委員会をはじめとした正論好きの方々から「あいつは腐ってる、社会の悪だ、排除してしまえ」と後ろ指をさされるものだが、公に宮沢賢治を否定する人がいた。

井上陽水である。彼の「ワカンナイ」という曲は、この雨ニモマケズを真っ向否定する詩のボクシングのようになっており、「君の言葉は誰にもワカンナイ 君の静かな願いもワカンナイ 望むかたちが決まればツマンナイ 君の時代が今ではワカンナイのよ」と歌う。この曲を知ったのは僕が高校生の頃。作詞作曲がしたくてモーリスのアコースティックギターを買った僕は、この陽水の詞の世界の虜になった。斜に構えて、ステージの上から、熱狂するファンをどこかバカにしたような佇まいでニヒルに笑ってみせる感じに痺れた。

で、井上陽水と言う人の言葉は信じられると思った。「言葉では意味が伝わり過ぎる」という発言は、言葉はなかなか伝わらないものと考えがちな僕らの頭をたたき割ってくれる響きがある。「ボブディランの詞を読んで思った、ああめちゃくちゃでいいんだ」という発言も、意味を探り過ぎる僕らの頬を張るようだ。

そんな陽水がこんなことを言っている。「向上心が旺盛ってことは、裏を返せばいつでも不平不満を言っているわけで、トラブルメーカーと紙一重なわけ。むしろ向上心がないことを肯定的に捉えたほうがいい。ほどほどを知っているってことだから」

そうなの、そうなのよ。向上心ってのは現状不満という土壌の上に成り立つものであって、現状に大した不満もなければ向上する必要はないってことなの。ほどほどでいることが重要であって、むやみに向上しようとすればするほど生き辛くなって、そういう人がビジネス本とかハウトゥー本とか哲学書とか宗教の勧誘とかに簡単にはまっていくものなのだ。

なんでこんなことを言っているのかというと、生まれてから一度もビジネス書を読んだことがない僕を「向上心ねえなぁ」とバカにする連中への、ささやかな反撃であり、斜に構えて僕も君たちをバカにしているのだよ、という意思表明なのだ。

スローバラード 04

近隣のホテルを探すわけでもなく、せまいクルマの中でただ夜明けを待つように眠った。エンジンを吹かし、暖房をかけた車内は暑かった。フロントガラスは水滴でいっぱいだ。視界は閉ざされ、世界は湿度の高いこの空間だけのように思っていた。悪い予感なんてあるはずないじゃないか。

時計は6時を回り、朝は目の前まで来ていた。でも2月の空はまだ暗く、彼女は眠っていた。暑さで剥がされた僕のジャンパーは、彼女の長いブーツの下敷きになっていた。踏みにじられたジャンパーが、その後の僕の運命を暗示していたことは言うまでもない。でもその時、そんな運命を予感できる余裕が僕にあっただろうか!

「あの娘の寝言を聞いたよ ほんとさ確かに聞いたんだ」

彼女の厚めのくちびるから漏れる吐息とかすかな寝言を僕も確かに聞いた。それは“ギター”と言っているような気がした。今にして思えば、それはもはや暗示でもなんでもなく、確証であったわけだ。

時計は7時を過ぎ、ようやく湘南の海もキラキラと光を浴びて、その水面を浮かび上がらせていた。跳びあがるように目を覚ました彼女は開口一番、

「いま何時!?」と僕を恫喝するように叫ぶのだった。

「もう7時過ぎだよ。朝飯でも食いにいく?」

「ごめん、そんな時間ない。9時までに帰んなきゃ!約束があった」

僕はピンときた。モデルの撮影だなと。そうかそうか、僕の彼女はモデルだったんだ、いやぁいい女を彼女にしている男ってのはいろいろと大変だ、と相変わらずののぼせ頭で悦に浸りながら、僕は彼女を気遣う英国紳士を気取り、

「いまから東京方面に帰るとなると渋滞の可能性が高いから、電車の方がいいかもしれないな。片瀬江ノ島海岸の駅がすぐそこだから」と言い放つのだった。

小田急線で新宿まで送り、引き返してクルマを取りに来ようと決心していた僕に、「駅まで送って。そこから一人で帰れるから」と真っ向から僕の提案を拒否した彼女は、文字通り走り去っていくのだった。

近くのファミレスで朝食をとり、のんびりと車で地元まで帰った。その日は大学には行かずに高円寺に戻ってひたすら眠った。そのころ彼女が誰となにをしているのかなど想像する余力すら残さずに。

(次回へつづく)

初心に帰って。

設立してから2年が経過し、今更ながらこの2年間を振り返り、かつ反省しなければならない点が多いということを感じている。

僕らのスタンスは基本紹介をいただいたお客様との付き合いを大切にし、自ら営業して新規顧客を獲得しにいくという肉食系な行動を好んではしてこなかった。それでもなんとか台所事情は凌げていたし、場合によっては忙しさを理由に仕事のお誘いを断るという、いま思えば大変失礼な態度をとることもあった。

だがいろいろな経営者の方と話をするうちに改めて思うことがある。設立1年目から待ってても仕事が来るという状況がどれだけ恵まれた環境であったかを。はっきり言えば甘やかされた環境の中に自らを置き、その小さな世界から外側のサバンナに出ることを無意識に拒否していたのだ。

生き馬の目を抜くという表現があるが、僕らはその現場を見ることなく、いや見ないように見ないようにしていたのだ。僕らは知らず知らずのうちに極めて保身的な、まるで政治家のような生き方を選んでいたのだ。

僕らはまだ起業家3年生だが、小学校3年生のレベルに追いついていない。小3になれば割り算を覚え、相当な数の漢字を書けるようになっている。彼らの世界は小さくはあるが、それでも日々確実に視界を広げ、小さいながらも痛みを知り、社会を形成し続けている。

今まさに初心に帰るべき時だ。不器用ながらも精一杯に数字や漢字を覚え、人と関わることの痛みと感動を味わい、初めて立った時の赤ん坊のように見える世界の違いを感じなくては。

耳を澄まし、目を見開き、手に触れ、その感覚をひとつひとつ確かめて行こう。そう誓って眠るとしよう。