幸せとは何なのか。
今日は、僕の名古屋時代の先輩と一緒に、元上司が経営する焼鳥屋さんを訪問した。お二人共、経営者としても僕の先輩にあたる人達だ。
なぜか会社員時代より、お二人共活き活きとしていて、若返っている印象を受けた。
特に焼鳥屋さんを経営する元上司は、当時部長職で、しっかりとした年収を得ていたはずで、飲食店を開業するという話を聞いたときは、正直血迷ったのでは?と思ったものだ。
だが、いま完璧に若返っており、すごく楽しそうなのだ。
そこで考える。幸せという形而上学の問題。
幸福な人生とは、どうやったら掴めるのだろう。
僕の両親はささやかな自営業を営みながら、苦労して僕を大学まで出してくれた。両親の願いは、就職に心配のない大学を卒業させて、倒産などの心配が必要のない企業に就職させることだった。
でも僕は、親の願いを裏切って独立をした。
久しぶりに会う人たちからは、今の方が輝いている、大人に見える(これはまあ、歳をとった分当たり前の話なんだけど)と言われる。
でも僕の心はあの頃の自分では想像もつかない不安でいっぱいだ。
あの頃といま、どっちが幸せかと問われれば、答えられない自分がいることも知っている。
幸福は誰もが願い、誰もが掴み取りたいものであるはずなのに、その実態は誰にも掴めない。なのに、僕らは、少なくとも僕は、追い求めて、いまもまだ彷徨っている。
彷徨い続けることが人生なのさ、と誰か言ってくれないか。
そうすれば、僕はもう少し気が楽になるかもしれない。