スローバラード 04
近隣のホテルを探すわけでもなく、せまいクルマの中でただ夜明けを待つように眠った。エンジンを吹かし、暖房をかけた車内は暑かった。フロントガラスは水滴でいっぱいだ。視界は閉ざされ、世界は湿度の高いこの空間だけのように思っていた。悪い予感なんてあるはずないじゃないか。
時計は6時を回り、朝は目の前まで来ていた。でも2月の空はまだ暗く、彼女は眠っていた。暑さで剥がされた僕のジャンパーは、彼女の長いブーツの下敷きになっていた。踏みにじられたジャンパーが、その後の僕の運命を暗示していたことは言うまでもない。でもその時、そんな運命を予感できる余裕が僕にあっただろうか!
「あの娘の寝言を聞いたよ ほんとさ確かに聞いたんだ」
彼女の厚めのくちびるから漏れる吐息とかすかな寝言を僕も確かに聞いた。それは“ギター”と言っているような気がした。今にして思えば、それはもはや暗示でもなんでもなく、確証であったわけだ。
時計は7時を過ぎ、ようやく湘南の海もキラキラと光を浴びて、その水面を浮かび上がらせていた。跳びあがるように目を覚ました彼女は開口一番、
「いま何時!?」と僕を恫喝するように叫ぶのだった。
「もう7時過ぎだよ。朝飯でも食いにいく?」
「ごめん、そんな時間ない。9時までに帰んなきゃ!約束があった」
僕はピンときた。モデルの撮影だなと。そうかそうか、僕の彼女はモデルだったんだ、いやぁいい女を彼女にしている男ってのはいろいろと大変だ、と相変わらずののぼせ頭で悦に浸りながら、僕は彼女を気遣う英国紳士を気取り、
「いまから東京方面に帰るとなると渋滞の可能性が高いから、電車の方がいいかもしれないな。片瀬江ノ島海岸の駅がすぐそこだから」と言い放つのだった。
小田急線で新宿まで送り、引き返してクルマを取りに来ようと決心していた僕に、「駅まで送って。そこから一人で帰れるから」と真っ向から僕の提案を拒否した彼女は、文字通り走り去っていくのだった。
近くのファミレスで朝食をとり、のんびりと車で地元まで帰った。その日は大学には行かずに高円寺に戻ってひたすら眠った。そのころ彼女が誰となにをしているのかなど想像する余力すら残さずに。
(次回へつづく)