ピストルズ やがて哀しき独り言

東京・恵比寿で広告・Webプランニング・開発・制作会社を経営する3年目経営者の悲哀を語っていきます。 弊社URL→ http://www.pistil-pistol.co.jp

雨ニモマケズ、風ニモマケズって、何言ってんの?

「先人たちの名言・格言」というブランドがあって、特に松下幸之助とか孔子の言葉とか、やたら振りかざしてくる人がいる。師曰く「人にして不仁ならば、礼を如何。人にして不仁ならば、楽を如何」といった類のものだ。確かに解説を聞けばなるほど尤もだ、と頷くしかないような完璧な意味を有しているのだから、それは個人の教訓として後生大事に墓場まで持っていけばいいとは思う。問題はそれを他人に押し付けてきて、押し付けるならまだしも、鬼の首をとったような表情で、「おまえ知らんのか、これだから低能は困るよ」と鼻の穴を膨らませている輩が少なからずいるということだ。

いわゆる名言というのは、言葉そのものではなく、受け取り手の僕らにとって響くかどうかが問題なわけで、「うばいあえば足りぬ、わけ合えば余る」などと言われたところで、僕に言わせれば、余らないように分けてくれよと言いたくなるのだ。余った分で結局また争いが起きるわけだから。そこんとこ頼むよみつをちゃん。

日本有数の名言として、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩がある。「みんなにでくのぼーと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、そういうものにわたしはなりたい」と宮沢さんは締めくくるのだけれども、嘘つけバカヤローと言わずにはいられない。

そんなことは普通公の場で口に出して言うと、PTAや放送倫理委員会をはじめとした正論好きの方々から「あいつは腐ってる、社会の悪だ、排除してしまえ」と後ろ指をさされるものだが、公に宮沢賢治を否定する人がいた。

井上陽水である。彼の「ワカンナイ」という曲は、この雨ニモマケズを真っ向否定する詩のボクシングのようになっており、「君の言葉は誰にもワカンナイ 君の静かな願いもワカンナイ 望むかたちが決まればツマンナイ 君の時代が今ではワカンナイのよ」と歌う。この曲を知ったのは僕が高校生の頃。作詞作曲がしたくてモーリスのアコースティックギターを買った僕は、この陽水の詞の世界の虜になった。斜に構えて、ステージの上から、熱狂するファンをどこかバカにしたような佇まいでニヒルに笑ってみせる感じに痺れた。

で、井上陽水と言う人の言葉は信じられると思った。「言葉では意味が伝わり過ぎる」という発言は、言葉はなかなか伝わらないものと考えがちな僕らの頭をたたき割ってくれる響きがある。「ボブディランの詞を読んで思った、ああめちゃくちゃでいいんだ」という発言も、意味を探り過ぎる僕らの頬を張るようだ。

そんな陽水がこんなことを言っている。「向上心が旺盛ってことは、裏を返せばいつでも不平不満を言っているわけで、トラブルメーカーと紙一重なわけ。むしろ向上心がないことを肯定的に捉えたほうがいい。ほどほどを知っているってことだから」

そうなの、そうなのよ。向上心ってのは現状不満という土壌の上に成り立つものであって、現状に大した不満もなければ向上する必要はないってことなの。ほどほどでいることが重要であって、むやみに向上しようとすればするほど生き辛くなって、そういう人がビジネス本とかハウトゥー本とか哲学書とか宗教の勧誘とかに簡単にはまっていくものなのだ。

なんでこんなことを言っているのかというと、生まれてから一度もビジネス書を読んだことがない僕を「向上心ねえなぁ」とバカにする連中への、ささやかな反撃であり、斜に構えて僕も君たちをバカにしているのだよ、という意思表明なのだ。