ピストルズ やがて哀しき独り言

東京・恵比寿で広告・Webプランニング・開発・制作会社を経営する3年目経営者の悲哀を語っていきます。 弊社URL→ http://www.pistil-pistol.co.jp

ガキを睨む。

もうすっかりブログを書くことに飽いている私であるが、そもそもなぜブログを書きつづけるという苦渋の決断を果たし、月10本のペースで更新しつづけるという虚無僧並の試練を己に課したのかを、いまいちど振り返ってみなければならぬ。要するに飽きっぽく忍耐力に欠け、日々精進することに耐えうる肉体と精神を営む能力をこれっぽっちも持ち合わせぬ自分自身を鍛えるためではなかったか。とは書いてはみたものの、やはり一度折れた心を修復するのは難しいことこの上なく、もう適当でいいじゃん、書きたい時に書けばそれでいいじゃん、別に誰に求められるでもなく、金銭的報酬を受け取っているわけでもなく、結局のところ自己満足のためにやってるわけじゃん。しかも自分からFacebookなどにリンクを貼り、いかにも「俺、やってます!」的なアピールを一体全体誰に向けて行っているのだ。そのうえ自分の恥部までも抵抗することなく晒し、自分は葛西善蔵西村賢太にでもなったつもりか!と相反する2人の自分が言い争っているのである。これはもう性的錯乱者の域だと自分を落ち着かせてはみるものの、尻切れトンボのように終わるのは、弊社の立場的にも良くないと思い直し、ひきつづきブログを更新することにした。

さて今回であるが、仕事の関係で石垣島に渡った。ホテル等を取材し、お土産のTシャツや貝殻でつくったペンダントなどをたらふく買い込み、しっかり石垣牛八重山そばなども堪能し、帰路羽田に向かうJTAの便に乗り込んだわけだ。この時期に、しかも石垣島という観光地から飛び立つ飛行機というのは乗客の大半が家族連れなわけで、要するに小うるさいガキどもが飛行機中に充満していることを意味している。

基本的に貧乏紳士を気取る私などは、ぎゃあぎゃあ泣きわめくガキをあやしつけるご婦人などと目を合わせると、「大変ですね」の一言を言わんばかりの優しい目をしてご婦人ににっこりと微笑むことを厭わない。そんな時は鞄の中からおもむろに「文藝春秋」などを引っ張り出し、立花隆あたりのページを妙に納得しているような表情で読んでいるフリをして、ご婦人から「そんなに難しい御本をお読みなのに、ご迷惑でしょう」などという申し訳なさそうな表情を引き出し、「いえいえ構うものですか。子どもというのは泣くのが商売のようなものですからね。それに比べれば立花隆の総論などというものは三流雑誌の風俗ルポの記事と大差ありません」などという極めて紳士的なふるまいを見せ、妙にスカした気分に浸るのだ。

問題は、そこではない。ガキと言っても小学生くらいのガキがこらもう絞め殺してやりたくなるくらいのわずらわしさなのだ。飛行機に初めて乗った興奮がそうしているのかどうか分からぬが、きゃつらは通路中を奇声を発しながら走り回るのだ。ぶーんぶーんぶぶぶぶーん、とか、ぱたぱたぱた、とか、ニイタカヤマノボレ、とか。まるで戦闘機の操縦者になったような気分で通路を右から左、前から後ろへと走り回るのだから、これはもう迷惑以外の何物でもない。しかもきゃつらの親ときたら、自分たちはすっかり寝息を立てて、子どもの傍若無人なふるまいを完全に見逃している。さらには小学生の親くらいの年齢になってくると、赤ん坊をあやしつけるご婦人とは言い難い年齢に差し掛かっていて、生活感が滲み出てしまっているわけだから、こちらも一向にスカしてやろうなどという気分は起こりえない。

だから私も自分の席の横にそのガキどもが来たら殴りつけてやろうという憤怒にもだえ苦しむことになるのだが、本当に殴ってしまったらこれはもう大問題である。そこで私が考え出し、3年ほど前から実践している手法がある。遠くからきゃつらが走ってくるのが視界に入った瞬間から、そのガキの目を一瞬たりとも逃さないように睨めつけてやるのだ。眉間に縦皺を数本つくり、唇を真一文字にし、殺気立った目をして瞬きひとつせず睨めつづけるのだ。この時ばかりはお気に入りの999.9の眼鏡を外す。眼鏡をしたままだと相手側からこちらの表情が捉えづらく、見逃される恐れがあるからだ。

この手法は私の経験上100%きゃつらを黙らすことができる。さすがにガキはビビるわけである。注意されるでもなく怒鳴りつけられるわけでもない。ただ人相の悪いオヤジに睨めつけられることの恐怖。黙るというよりも唖然とするわけだ。今回もこの手法が功を奏し、小学2年生くらいの男子生徒を唖然とさせることに成功した。きゃつはとぼとぼと自分の席に戻り、微動だにしなくなっていた。用心深い私である、再度ガキが発狂しないようにと、席にちょこんと座り青ざめているガキがこちらを注意深く伺っていることを見抜いた私は、念には念をおして再度睨めつけてやった。それも一瞬ではない。目が合った瞬間に顔を下げたガキに対して、その後20秒ほど睨み続けたのだ。おそらく失禁くらいはしているだろう。どうだバカ野郎、調子こいてんじゃねぞ小便垂れが。夢にまで出てやるぞ。

この体験を通して、その小学2年生も大人への階段を一歩昇ったに違いない。飛行機の中で成長できるとはその子も恵まれている。そう判断し満足した私は、再び文藝春秋に目を戻したのである。

その後羽田に到着するまでの1時間半、その子が発狂し奇声を上げることは一度たりともなかったことを追記しておく。

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