ピストルズ やがて哀しき独り言

東京・恵比寿で広告・Webプランニング・開発・制作会社を経営する3年目経営者の悲哀を語っていきます。 弊社URL→ http://www.pistil-pistol.co.jp

真鶴にて

真鶴は、東京から見ると小田原の先、湯河原・熱海の手前に位置する小さな町であり、申し訳程度の半島を有する神奈川県南西部の石材の町だ。川上弘美の長編小説の舞台にもなっている。半島の突端には三ツ石海岸があって、干潮時には有名な三ツ石まで地続きになっているらしいのだが、僕が訪れた時には生憎満潮だったのだろう、残念ながら三ツ石まで歩いていくことはできなかった。

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なぜこんな辺鄙な場所に行ったのかというと明確な理由がない。ただ辿り着いたらそこは真鶴だったのだ。

加齢という問題について最近よく考える。あと2年すれば40歳だ。歳を取って脳が腐りかけても体力でそれをカバーしていきたいとジョギング、水泳、筋トレを続けているわけだが、真鶴の景色を眺めて1時間近くぼうっとしてしまった。20代の頃なんていわゆる名勝地と呼ばれる土地の景色を眺めても数分で飽きてしまった自分だが、1時間もその場に立ち尽くし景色に見入ることができるようになっていたとは正直驚きだ。この現状をどう判断すればいいのだろうか。自然の持つ悠久の力とも言うべき景色に感動し、自分の無力さをまざまざと見せつけられ、よし、もっと頑張ろうと思えばいいのだろうか。もしくは景色に魅入られるくらい自分が歳を取っていることに愕然とし、いかんいかんこのままではいかんぞ、これじゃあすっかり人生を諦めた老人ではないか!と自分を叱責すればいいのだろうか。はたまた女性の太ももよりも海の景色に関心が移行し、煩悩からの解脱、欲望からの解放を喜べばいいのか。

自分にとって潮の香りを嗅ぎ、汐風に身をゆだね、波の調べに耳を傾けるということが、どこかリアリティのないことのように思えてならない。「自然に生きる」ということがいまだもって理解できない自分にとって、この1時間のひとときが何をもたらしたのか、深く探っていきたいテーマのようにも思える。

不惑の40などという言葉があるが、その境地に達するにはどうやら2年では全然足りないようだ。というよりも一生届かない境地のような気もする。

シュノーケルを楽しむおっさんがいた。真鶴半島は、関東ではシュノーケルのメッカのような場所らしい。50前後くらいのそのおっさんは、人生に何の迷いもなく海に潜っているのだろうか。戸惑いだらけの陸上から逃げるように、おっさんは海に深く深く潜っていくような印象を受けた。