ピストルズ やがて哀しき独り言

東京・恵比寿で広告・Webプランニング・開発・制作会社を経営する3年目経営者の悲哀を語っていきます。 弊社URL→ http://www.pistil-pistol.co.jp

思い出深い仲間と、思い出深いお客様と、ケツが痛い僕。

前職での思い出深い営業女性が退職することになり、名古屋まで送別会に行った。昨日今日とあまりにお天気が良かったので、名古屋まで車で行った。ケツの穴の小さい僕は超優良の安全運転ドライバーのため、東京ー名古屋間を優に5時間かけて走行するわけだが、夜の東名を東京に向けておっかなおっかな運転しながら、小さなケツの穴を引き締めていろいろ記憶を辿ってみることにした。

僕が彼女と一緒に仕事をしていた期間は案外長いのだが、一緒にクライアントを担当したのはたったの2社だった。だけどその2社がどちらも思い出深いお客様で、密度の濃いお付き合いができたからこそ思い出も深いのだと気付いた。

D社様は一部上場の電子機器メーカーだが、当時の僕はこの会社をとにかく名古屋で一番目立つ採用広告でアピールしたいと考えた(極めて単純で素朴な発想だ)。

当時(いまもあるのかもしれないけれど)名古屋ドームや国際展示場のような大きな会場で、地元企業から大きな大きなグローバル企業までが一同に会する就活学生向けイベントがあった。そこで数百社の参画企業が学生に少しでもアピールしようと、パンフレットやグッズを作って学生たちに配っていた。学生は山のようになったパンフレットなどを持ち帰らなくてはならず、主催者側でそれらを入れるための大きな紙袋を用意していたのだ。つまり名古屋ドームから出てくる何千人、何万人?の学生たちの列がその主催者が用意した紙袋を持って行列して駅までの道を歩いていくことになる。

僕はそこに目を付けた。その主催者が用意する大きな紙袋よりも更に一回り大きくて頑丈な紙袋を作れば、学生皆がそのD社様の紙袋を持って行列をなすことになる。ほんとはそういうことってやってはいけないルールだけど、僕はイベント担当のマネージャーに電話を入れ、

「大きなパンフレットを作りたいんですけど、イベントで用意する紙袋に入らなかったらまずいので、今回用意する紙袋のサイズを縦横幅それぞれミリ単位まで正確に教えてください」と嘘をついた。

まんまと正確なサイズ情報を入手した僕は、迷わずそれ以上の大きさの紙袋制作にとりかかったのだった。

当日ナゴヤドームから最寄りの地下鉄の駅までの長いスロープをD社様の紙袋を持った大勢の学生達の列を見た時は壮観だった。思い出深い仕事だ。

この仕事が彼女と最初に取り組んだ仕事だ。「心のパンツを脱ぐ女」とお客様に宣言する彼女に対抗し、「女も濡れるクリエイティブ」を標榜した僕の思い出だ。まあ、自分で自分のこずるいアイデアに勃起していただけだったかもしれないのだが。

彼女の最終出社日となった昨日、そのお客様に一緒に会いに行った。いまでは部長職へと出世された当時のお客様もこのことを正確に覚えていてくださったことに泣きそうになった。楽しくて楽しくて仕方のない記憶は、全員に共有され、一瞬にして当時の僕らに戻してくれる。まるで学生の頃の部活の思い出のように。

そう考えたら、仕事も辛いことばかりじゃなくて、楽しく笑いながら、でも全力で取組むことで、10代の頃のキラキラの思い出のようなものになると、改めて知った気がした。

そんなことを考えながら東京に戻ってきた僕は、久しぶりの長距離運転でケツが縮み上がるように痛い。

「女も濡れる・・・」どころか「ケツの穴の廻りのデリケートな部分も濡れる」オッサンになりつつある・・・・

 

アイコ、永遠の18歳。

僕の前職の後輩、「ぼくらのアイドル」「ママになってもアイドル」、

アイコ永遠の18歳がピストルズの仲間に加わることになりました。

 

彼女とは前職の時代からよく一緒に仕事をしてきたのですが、

顔に似合わず根性があるところ、お客様から大変可愛がられるところ、

当時生活が乱れに乱れていた僕をこっそりお説教してくれるところ、などなど

大変できた女性です。仕事も安定感抜群で、一緒にコンテストに入賞したり、

前職の会社の大きな賞も一緒に受賞したりしました。

 

ピストルズに仕事をお願いしてもいいんだけど、

声がでかいし妙に圧があってうっとおしいよね、山宮って」とか、

「あの根拠のない自信と阿保みたいなポジティブシンキングはどこからくるんだよ!林っ」とか、

僕らの事が人間的に嫌いという理由で発注を躊躇しているみなさん、

もうそんな心配はいりませんよっっっ!

 

とはいえ彼女も1歳になる男の子の母親。

子育ても大変な時期ですので、当分の間は業務委託契約というカタチ。

アイコ永遠の18歳に会いたいからって恵比寿にご訪問いただいても、

めったに会えることはありませんが・・・・

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需要と供給の問題。

まあ全ての企画や制作物がハンドメイドを特徴としているピストルズは、

当然需要が発生した時点でいそいそと万年床から抜け出し、シャワーを浴び髭を剃り、

ジェルで髪を整えた上で仕事モードになるわけですが、

本日我々が伺ったクライアント様の社長は、

「そこが、おまいらのクズのとこだわ」と仰るわけです。

まあクズと言われても完全M気質の我々は、ひひーんと嘶きながら喜んでしまうところがあるのですが、

「需要があるから供給が生まれるんじゃなく、供給を創るから需要が生まれるんだ」と仰る社長の話が目からウロコだった訳です。

きっといろんなビジネス書にそういうことって普通に書かれてるとは思うんですが、

そういう類の本を読んだことのない我々には斬新な響きと言いますか、

まるで代々木ゼミナールの大教室の最前列でテープレコーダー回してるくせに、板書と講師の攻撃的な喋りを必死でメモる、

地方出身の寮住まい、これで落ちたら後がない受験生のような目になったのです。

で、需要と供給の問題について具体例を挙げながらお話し下さった社長のセリフを書こうと思ったのですが、

あれ思い出せへんぞ、、、

売れない商店はなんちゃらとか、若くて学歴のない考えない経営者こそかんちゃらとか。。。

眠くなってきた、走ってこよっと。

電話を嗤う者は、電話に泣く。

わずか9ヶ月で廃棄となった弊社の電話。

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なにがダメって、繋がらない。

着信音が鳴って、5秒以内に出ちゃうとプッツリ。

着信音のベルが鳴りだして、8秒で出ると繋がる確率は50%くらい。

確実に電話に出るためには10秒以上置かなくてはならない。

ただし、10秒以上電話口で待ってくれるのはくだらない営業電話ばかり。

税理士事務所だとかあぶない金融業者だとか格安WEB・アプリ開発業者だとか。

どうせ大切なお客様は携帯に直接掛けてくださるし、形だけあればいいやと

放置していたわけです。

 

ところが、その大切なお客様の中に一人(ほんとはもっといるかもしれないけど)、

毎回毎回この電話に掛けてくださっていた方がいたのです。

それもかなりヤリ手の、経営者としても大変尊敬している方。

 

「きみねぇ、電話ちゃんとしとかないと、ヤバいよ」

「言っておくけど、3度目はないぞ」

 

そうか!いつもいろいろなお客様からご紹介案件をいただき、

ロクな営業もせずに商売が成り立っていた僕らに、

それでその社長は新しいお客様を紹介してくださらなかったのか!!

 

ということで、僕のポイントが5万ポイントになっていたヤマダ電機で、

「ベルが鳴った瞬間に通話が100%保証できるひかり対応電話をください!」

と店員につっかかり、怯える店員が慎重に選んだシャープにポイントで買い換えました。

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これで、100%電話繋がりますので、ドシドシご連絡くださいっ!!!

 

 

幸せとは何なのか。

今日は、僕の名古屋時代の先輩と一緒に、元上司が経営する焼鳥屋さんを訪問した。お二人共、経営者としても僕の先輩にあたる人達だ。

なぜか会社員時代より、お二人共活き活きとしていて、若返っている印象を受けた。

特に焼鳥屋さんを経営する元上司は、当時部長職で、しっかりとした年収を得ていたはずで、飲食店を開業するという話を聞いたときは、正直血迷ったのでは?と思ったものだ。

だが、いま完璧に若返っており、すごく楽しそうなのだ。

そこで考える。幸せという形而上学の問題。

幸福な人生とは、どうやったら掴めるのだろう。

僕の両親はささやかな自営業を営みながら、苦労して僕を大学まで出してくれた。両親の願いは、就職に心配のない大学を卒業させて、倒産などの心配が必要のない企業に就職させることだった。

でも僕は、親の願いを裏切って独立をした。

久しぶりに会う人たちからは、今の方が輝いている、大人に見える(これはまあ、歳をとった分当たり前の話なんだけど)と言われる。

でも僕の心はあの頃の自分では想像もつかない不安でいっぱいだ。

あの頃といま、どっちが幸せかと問われれば、答えられない自分がいることも知っている。

幸福は誰もが願い、誰もが掴み取りたいものであるはずなのに、その実態は誰にも掴めない。なのに、僕らは、少なくとも僕は、追い求めて、いまもまだ彷徨っている。

彷徨い続けることが人生なのさ、と誰か言ってくれないか。

そうすれば、僕はもう少し気が楽になるかもしれない。

こたつクリエイティブが、基本。

弊社の事務所の打合せ机は、こたつです。

なぜこたつなのかと言うと、弊社へ打ち合わせにいらっしゃるパートナー会社のクリエイターさんや代理店の営業さんや、

時にはクライアント様に”靴”を脱いで頂きたいからです。

クリエイティブ系の小さな事務所ですと、靴を脱いで上がるところはたくさんあるのですが、

基本的にはスリッパ等に履き替えます。つまり靴下や素足で上がり込むなどということはほとんどなく、

やはり「よそに来ている」感はぬぐい去る事が難しい。

 

そこで、こたつ。

こたつに誘うということは、靴を脱ぎ、且つスリッパなどというそんな水くせえ履物なんぞ履いてくれんなという我々ホストの意思表示。

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すると粋な仲間たちは、「あいよっ」という軽い気持ちでこたつに足を入れてくれるのです。

粋なコミュニケーション設計というのは、こうやって第一歩を踏みしめるわけです。

 

ところで、ひとつ問題なのは、こたつに入っていると全身が電気のチカラで温められ、意志薄弱となり、みんな横になったりして喋りだし、挙句の果ては少年ジャンプを読み出すことが多い。打合せしている間に、にわかヒッピーにみんながなっていくということですわっ。

思えばパクってばかりの人生ですが

相棒からブログタイトルがネガティヴという指摘をうけたのですが、これは、僕が昔から秀逸なタイトルだなぁと感心している村上春樹の「やがて哀しき外国語」というエッセイのタイトルからパクったものです。

そもそも弊社の社名であるピストルズも、僕が一番大好きな阿部和重という作家の長編小説のタイトルからそのまま拝借したものであり、基本的にパクってばかりなのです。

僕は広告コピーや原稿を書きますが、タイトルというのは本当に難しくて、どうしても、自分の好きな小説や映画のタイトルからヒントを得ようとしてしまう傾向があるのです。

男はつらいよシリーズは僕がもっとも心奪われるプログラムピクチャーなのですが、全48作のそれぞれのサブタイトルを一覧にして、よく眺めたりしています。

会社員時代から企画やコピーを考えるとき、僕は広告集のTCC年鑑やADC年鑑などにはあまり興味が持てず、どうしても映画や小説なんかからヒントを得ようと、いやパクってやろうと眺めていました。

結局その癖が抜けず、未だに同じことを繰り返す。

ああ、自分ってものがないなあ、消えて無くなりそうだ。

いかんいかん、自分の内から溢れてくるような泉を掘り当てないと。

埼玉が世界に誇る、石坂産業様を見学してきました。

建築系廃材リサイクルでトップ技術を誇る石坂産業株式会社様。廃材を単なるゴミにせず、独自の優れた技術を活用し、減量化・再資源化率95%という驚異の数字をたたき出している会社です。

メディアでも盛んに採り上げられ、いまや時の人ともいえる石坂伸子社長。彼女のお話を伺ったのですが、軟弱なひよっこ経営者である私にとっては、文字通り弾丸のごとく、胸を貫かれた時間でした。特に、

見られることの大切さ。
見られることで、人は美しくあろうと心がける。

クライアントの、ひょっとしたら本人たちさえ気づかない、わずかな輝きを見逃さず、それを美しく見せるのが我々ピストルズの仕事です。でも石坂社長のこの言葉、というか視点を僕らはしっかり持ってクライアントと対峙してきていたのだろうか。大いに反省すべきことだと思いました。本当はもっと具体的に書きたいのですが、頭の中がまだ整理できておらず、少なくとも忘れてはいけない、心に刺さった言葉を刻み込むために、ここに記します。

この夏、38歳。

今夜もまた終電を逃した。この時間帯の恵比寿は祭りのあとのような静けさで、吸殻と空き缶と吐瀉物がちらほらと侘しげで、それらを眺めながら事務所に戻ると、妙な孤独感とこのまま明日なんて永遠にやってこないような錯覚に囚われる。


今夜ひょんなことから知り合った26歳の女性。道玄坂の、ビージーズが流れる薄汚いバーで、カンパリソーダを飲みながら彼女の26年の人生を聞いた。
2歳で両親が離婚し、中学時代にグレてイジメの首謀者となり、イジメの対象となった子を登校拒否に追い込み、高校は2年で中退。その後東京に出てきて風俗やAVでお金を稼ぎ、24歳でネイルサロンを渋谷で開業。細々と稼いで貯めた数百万円を、昨年末まで付き合っていた男に使い込まれたという話。よくある独り身女性の不幸話だし、どこまで真実なのか僕には到底見当もつかないのだけど、明るく笑い話として語る彼女は、とても素敵な女性なのだと思った。
ただ初対面の相手にかなり込み入った身の上話なんかするものなのかなという思いもあり、君の中でもう決着のついた話なの?と聞いてみた。
彼女は、「別に誰にでも話す必要のある内容でもないし、盛り下がるだけだから基本は喋らない。でもあなた寂しそうだったから、もっと寂しい人間なんていくらでもいるのよって」

 

そうか、僕は周りから見ると寂しい人間なのか。渋谷にいる誰もが明日のことなんかこれっぽっちも考えずに笑っている深夜0時に、一人でビージーズの「マサチューセッツ」を流すバーにいること自体寂しい証拠だ。一回りも下の女性に寂しそうな男、いや寂しそうなオジサンと思われる、この夏38歳になるただの男。ただのらくらと38年も平凡に生きてきた僕を、励ますために語ってくれた本当か嘘か分からない身の上話。たくましく生きる女性の前では男はいくつになってもただの子供なのだと改めて思わされた。

 

明日は早く家に帰ろう。少なくとも初対面の女性から寂しそうな男と思われるのは今日でおしまいにしよう。

 

まだバーで少し飲んでいくという女性と別れ、明治通りをまっすぐ事務所に向かって歩いた。東京の桜はもう散りはじめている。40代へ向かう僕の人生にもう桜は咲かないかもしれない。そう考えると寂しさがこみ上げてきたけど涙は出なかった。

 

ふと思い出した。
「なろうなろう明日なろう。明日は檜になろう。」
高校時代に読んで読書感想文を書き、県かなんかのコンクールで銅賞をもらった井上靖の「あすなろ物語」。いま読んでいる「ロング・グッドバイ」を読み終えたら、読み返そう。実家の本棚に新潮文庫があったはずだ。