ピストルズ やがて哀しき独り言

東京・恵比寿で広告・Webプランニング・開発・制作会社を経営する3年目経営者の悲哀を語っていきます。 弊社URL→ http://www.pistil-pistol.co.jp

スローバラード 02

見事ルノワールに彼女を誘い出した僕は、席につき早々に注文を済ませると、すぐさま「先ほどは申し訳ありませんでした。サークルの勧誘というのは真っ赤な嘘で、あなたに一目惚れして、どうしても声をかけたくて、思わずありもしないサークル勧誘のフリをしてしまいましたっ!」と頭を下げたのだった。

「バカにしないでっ!あんたなんかに声かけられてひょいひょいとついてくる軽い女だなんて私のこと思ってるの!失礼しますっ!コーヒー代はここに置いておきます、あんたみたいな人に奢ってもらうなんて気分悪いわっ!!」などと彼女が言う訳ないことは知っているので、誘っておいてすぐに正直に白状するというのは、当時の僕の経験から得た知識であり、戦略であった。

「やっぱりね、なんかそんな気がしてたよー」と笑う彼女の屈託ない笑顔の虜になった僕は、この瞬間から濃密な恋の世界へ落ち込んでいくのだった。恵比寿や中目黒のちょっとお洒落なバーに通い、そこで初めてカンパリの美味しさを知った。タランティーノの映画を好きになったのも彼女の影響だ。スピルバーグには興味を持てなかったのだけれど。そうこうしているうちに、僕は人生で初めて「同棲」とか「学生結婚」とかを考えるようになった。

当時僕はさいたまの実家に暮らしていて、彼女はお姉さんと恵比寿のガーデンプレイスの裏にある賃貸マンションに暮らしていたから、二人っきりになるためには相当なお金が必要だったし、二人だけの空間を確保するためにはあまりにも時間が限られていた。

そこで僕は、塾講師と東武動物公園のヒーローショーのアルバイトの他に、下水道が整備されていない田舎町の汚物回収車のアルバイトを始めたのだった。日給9,000円。高円寺の商店街を抜けた先にある賃貸アパートの敷金・礼金分のお金を貯めるためだった。

いまでも覚えている。1997年10月25日。僕が高円寺の駅前にある小さな不動産屋の太ったおばちゃんに、敷金礼金夫々2か月分の札束を叩きつけた日だ。

11月の頭からそのアパートに彼女と転がり込み、二人で吉祥寺のパルコにベッドやらコーヒーカップやらを買いに出かけた。僕が初めて吉祥寺のいせやに行ったのもその日だ。長渕剛の「東京青春朝焼物語」ってこういうことを歌っていたんだと、地方出身者でもないのに身に染みて思ったものだ。お金が足りなくて、テレビを諦めて掃除機を買った。

その日からの3ヶ月、僕らは高円寺のアパートでパンケーキを焼いたり鍋を作ったりして過ごした。新宿に出かけてオールナイトの映画を観たり、彼女のお姉さんが不在の日には、ガーデンプレイスTSUTAYAでビデオを借りて、彼女の部屋で朝までビデオを見たりしていた。スピルバーグの映画よりも「男はつらいよ」の方が好きだとは最後まで言えなかった。彼女に誘われ武道館にイエローモンキーのLIVEを観に行って、吉井和哉のような男になりたいと愚かにも本気で思ったのもこの頃だ。

でも、ある日を境に、彼女が僕のアパートへ通う回数が減り始めていることを知った。彼女も読者モデルの仕事の付き合いで夜が遅くなっていたし、彼女の通う専門学校が新宿にあったから、高円寺まで来るのが億劫になっているのかなと、楽観的に考えていた僕は、テレビのない部屋でジョン・キーツの詩集とか大江健三郎の小説とかを読み、「文学界新人賞」に投稿するための短編小説を執筆していたりしていた。

で、冒頭の「スローバラード」に話は戻る。1998年の2月。1週間近く彼女と会っていなかった僕は、どうしても彼女を誘い出したくて、「福岡の冬の海ってすごいロマンティックだよ」と言っていた彼女の言葉を思い出し、実家に戻りクルマを借りて、湘南の海へと彼女を無理に誘い出したのだった。池袋から恵比寿方面に向かい、混雑した深夜の明治通りはいまでも鮮やかに僕の脳裏をよぎるのだ。

(次回へつづく)

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